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中国 広州・中山・アモイ旅行5

 孫文記念館友の会訪中団に参加して

                         中国語講座 研究クラス 中島悦子
 
この度の訪中団の主要目的は、孫文ゆかりの諸施設の見学ということでしたので、記念館が発行しているパンフレットで多少の予習はしたものの、にわか勉強ではあまり頭に入らないままに現地に行きました。でも、現地で孫文の旧跡を見学して、彼が中国の近代化に果たした役割や、その功績によって中国でいかに敬愛されているかがある程度理解できたように思います。旅行中に見学した施設のいくつかを紹介します。
 
最初に訪れたのは孫文が1924年に中国共産党とソ連との協力によって創立した黄埔陸軍軍官学校です。もとの校舎は1938年日本軍の爆撃で破壊されたそうですが、1996年に復元され、いかにも校舎らしい横長の建物が三列に平行して建てられていました。中は展示室になっていて、孫文の署名のある第一期生の卒業証書や政治部副主任を務めたという周恩来の写真が特に印象に残りました。珠江に面しているので、目の前に軍艦が停泊していましたが、これは撮影禁止ということでした。
 
中山大学(南校区)を訪ねたときは、お二人の教授のほかに四年生の女子学生が出迎えてくださいました。1990年に建てられた永芳堂というモダンな建物が孫文の記念館になっていて、私達はここでいろいろな説明を受けましたが、私はもっぱらこの学生さんと専攻は何かとか何処の出身かなどいろいろおしゃべりしました。彼女は「学生助理」をつとめているそうで、中山大学の構内施設を説明したプリントを用意して私達の案内に備えてくれていました。永芳堂の見学のあと、この大学のシンボルである孫文の銅像を見に行きました。この銅像は、政治、経済、軍事などの面でずっと孫文の革命活動を支援してきた梅屋庄吉が孫文の没後に贈った四体の銅像のうちの一つだそうです。北向きに安置されているのは、北伐の意志の表現とのことです。(黄埔陸軍軍官学校の丘の上にもその一体が安置されているのが見えましたが、傍までは行きませんでした。)
中山大学の構内は、市民が自由に入れるそうで、枝を広げた大木の下を散歩したり、青々とした芝生でくつろいでいる人たちを沢山見かけました。
 
中山市の孫中山故居は大変規模の大きい施設でした。孫文が生まれ育った翠村の様子を出来るだけ当時のままに保存するのが目的だそうで、孫文一家が暮らしていた家のほか、村民の住居も一部保存されています。構内には畑や田んぼがあり、当時栽培されていたのと同じ種類の野菜を作っているとのことでした。孫文一家が小作をしていた田んぼの広さも再現していました。ここは、「愛国主義教育基地」に指定されていて生徒達が大勢見学に来ていました。
(私は初めて知ったのですが、中国では主要な史跡や博物館、風景名勝地などを「愛国主義教育基地」に指定しています。)
ここでは、紀念館の館長室に通していただきました。友の会事務局を担当しておられる三人の方々は、館長さんに対して熱心に神戸の孫文記念館の説明や今後の交流などを話しておられましたが、私は末席でただひたすらかしこまっていました。
この事務局のお三人は、見学に行った先々で熱心に説明を聞き、写真を撮り、資料を集め、また、旅行社に寄ってはパンフレットを渡して、孫文記念館への来館を要請するなど、記念館の発展に並々ならぬ情熱を傾けておられる様子が伺えました。
 
広州の町は、紫荊花やブーゲンビリアなど色とりどりの花が咲いていて、まさしく「花城」でした。
2008年 12月 13日
中国文化同好会
中文同好会20周年記念行事