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中国 広州・中山・アモイ旅行4

 

 

移情閣友の会訪中旅行に参加して
 中国語講座研究クラス 伊藤 静子
 
  去る11月16日~21日、広州・中山・アモイへ孫文の足跡を辿る5泊6日の旅に参加させてもらいました。メンバーは、移情閣事務局スタッフの佐瀬さん・林さん・武市さん3名、林さん友人水谷さん、中国語講座同学の中島さんと私、計6名でした。もっと多くの方が参加されるのではと思っていたので、予想に反しましたが、少人数である事でまとまりも良く、又皆さんが気さくで、愉快な方ばかりだったので、とても楽しい道中になりました。通訳は、曹さん。全行程付き添って、よく世話をしてくれました。大事な目的・・あちらの孫文記念館や関係当局との交流を図る事・・は、スタッフの方達の奮闘(!)、又林さんの流暢な広東語の通訳のおかげで、とても良い感じで進められて、これからに繋げる友好交流が出来たと思います。
  以下は、独りよがり的旅行の感想です。
 
1)孫文関係
初日、広州にて、広東省人民政府対外友好協会歓迎夕食会。副秘書長陳氏、同協会員呂さん出席。どんなお話し合いになるのかと心配だったが、お二人とも日本語が大変お上手で、和気藹々と、話が弾んだ。これで先ず初めの難関突破。 
 
軍校旧址(広州市)・・第1回国共合作期(1924~27)に孫文創設の陸軍学校。
  多くの国民党・共産党の幹部が育った所とあって、大勢の中国人が訪れていた。  
  若い人、年配の人いずれも。軍校は珠江の河岸に建てられており、金網を隔てて河には軍艦が2隻浮かんでいた。甲板には、洗濯物が干してある。軍艦に洗濯物、と言うなんとも奇妙な風景を撮ろうと、カメラを向けると、撮影禁止、とガイドの曹さんに注意される。でも撮ってもいいよ、と小さな声で。見られていない時はOKか。
孫中山故居紀念館(中山市)
    孫文生誕地(1866年香山県翠亨村に生まれる。1988年中山市翠亨に改名)に孫文自ら設計した2階建て住居が公開されている。外観はレンガ作りの西洋風だが、内部は中国の伝統的な様式で、当時の生活振りが偲ばれる。裏手には翠亨村の当時の農村の様子が再現され、稲や、野菜、果樹が植えられていた。傍に新築された孫中山故居紀念館があり、館長さんの歓迎を受けた。林さんと広東語で話され、帰り際には、お食事でもと誘われる、いい雰囲気だった。
    小学低学年の団体が丁度見学に来ていて、整然とした態度に、孫文先生を尊敬する気持ちを感じた。
  中山大学(広州)
    1924年孫文が、広東高等師範学校、広東法科大学、広東農業専門学校を合併して設立。その後、いくつかの大学と合併し、今では4つのキャンパスを持つ。
    今回訪ねたのは、本館に当る所。広い、芝生の美しいキャンパスを通り、資料館に案内される。教授が出迎えてくださって、広い資料館に展示された写真などの説明を受ける。それはもっぱらスタッフにお任せして、中島さんと私はアシスタントの中山大学4年生の女子学生と話をした。彼女は、地理学を専攻している、就職活動をしているがまだきまっていない、など。私たちは、移情閣は、孫文の資料館だけではなくいろいろ文化活動もしていること、を話した。小交流になったかも。
    キャンパスには、孫文の像(梅屋庄吉寄贈か)、志士たちの像がある。キャンパスは一般に開放されているそうで、お年寄りや、子供達が寛いでいる姿を多く見かけた。歩きながら、何十年も前の自分の学生時代を思い出してちょっとセンチメンタルになった。
  孫中山紀念堂(広州) 1929~31年竣工
    著名な建築家呂彦真の設計になるもの。八角形の古宮殿様式の建築。内部は天窓を持ち明るい。舞台を持つ。
  孫中山大元帥府紀念館(広州)
    大元帥として執務した時の部屋保存。
  黄花崗七十二烈士墓園(広州)
    1911年4月27日(農暦3月29日)、3.29蜂起の時、志半ばで犠牲になった多くの志士たちの中から、72名の遺骨を集め、葬っている。72名を象徴する72この石を積み上げたMemorial Wallがあり、紀功坊と言う。石面には献石した個人や団体の名前が彫られていて、「中国国民党神戸支部党員王敬祥献石」、「中国国民党神戸支部献石」の文字がはっきりと読み取れた。
       広い墓地公園になっていて、若い母親や、おじいさんおばあさんが、小さい子供を遊ばせる姿が多く見られた。
2)その他の見学
   肇慶市(広州西部) 
鼎湖山風景区・・巨大な端渓の硯(世界最大と!)、と巨大な鼎有り。その昔黄帝がこの地で巨大鼎を 鋳造したとの伝説あり。3つの山に囲まれた湖は青い水を湛えていた。
白雲寺   ・・山中にある禅宗の古刹。いくつものお堂がある。鑑真と共にここを訪れた日本僧栄叡はこの地で病没した、と言われている。山腹に日本人僧栄叡の碑があり、像は彼の故郷美濃の方を向いている、書かれている。
     七星岩風景区・・石灰岩の山が7つとそれを取り囲む5つの湖で構成されている風光明媚な所。
     端渓工場見学・・工場の前には、切り出して来た石が無造作に山積みされている。工場内では、若い数人の職人さんが決して良い環境とは言えない職場で、精巧な彫り物をしていた。
    アモイ(福建省)
     コロンス島 ・・アモイから船で10分。面積1.78平方km、海岸線総延長2kmに満たない所を電動車で回る。潮風が心地良い。以外に爽やか。南京条約で開港させられた後、英・米・仏・日・独・西・葡・蘭などの国々が領事館、病院、学校、教会、商社などを設立。華僑も住宅や別荘を建てた。そのため、小さな島は洋風建築が数多く見られる。亜熱帯の植生と相まってなんだか不思議な感じがする。ピアノ博物館がある。世界最古のピアノや、最大の立式ピアノがめずらしかった。林叔蔵の別荘庭園、寂荘花園も。
     日光岩   ・・島内最高峰92m、石段を登ること約300段。頂上から対岸のアモイ島が一望出来、美しい眺めだった。金門島までは、見えなかったが台湾の小さな島が2つ霞んで見えた。
     南普陀寺 ・・600年近い歴史を有する古刹。観音菩薩を祭る。国内で最も早期の仏教学院が創設されている。当日は、平日であったにも拘らず、大勢の参拝客で賑わっていた。若い人たち、カップルが目立った。また、至る所で参拝客にお構いなく、掃除をする人たちがいた。聞く所によると、そのような奉仕をする事で、ご利益があると信じられていて、全国から集まって来るとのこと。しかし、門前には、障害者が何人も物乞いする姿があった!
鄭成功記念館・・彼がこの地をベースにしていた事を初めて知った。
華僑博物院 ・・1959年華僑の陳嘉庚によって創建。華僑が世界中に発展して行った陰には、苦難の歴史があったことを知る。
3)Hotel
    初日と帰りにそれぞれ1泊、計2泊した広州白天鵞賓館は、最もレベルの高いホテルのひとつ。部屋から見下ろすと、珠江がふたつに分かれている様子がはっきりと見える。夜には、イルミネーションがきれいで、昼とは全く別の世界になる。ホテルの中で、欧米系の人達が中国人の幼い子供を連れているのによく出会った。ガイドの曹さんによると、施設にいる子を養子にする為其の子と暫らく滞在して、様子を見ているそうだ。何か気持ちの中で、すっきりしないものが残った。
4)食事
    どれもおいしかった。油ぎってなく。特に、飲茶はとてもおいしかった。初めて鳩を食べた。やっぱり鶏の様。でも顔のところはちょっと・・・。
5)番外編
    帰る日の最後の昼食のあと、レストラン近くの生鮮市場へ案内してくれた。今は随分清潔になっている、と曹さん。日本の市場と同じような通路の両側に、肉、野菜、乾物、魚の店が並んでいる。中には、半分に割った豚、生きた蛇、皮をむいた蛇と皮、笊に入った虫(雲南で食べた!)、等。眉間を断ち割った上半身の犬がぶら下がっているのを見るのはつらかった。果物屋の前に来て、ホットした。
6)最後に
    今回の旅行は、日本と中国の、昔の文化交流と現在の経済交流を考えるとても有意義な、また楽しいものだった。今後、若い人たちももっと交流し合う事でお互いの理解を深めていって欲しいと思います。

 

2008年 12月 13日
中国文化同好会
中文同好会20周年記念行事