<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><!-- generator="WordPress/2.5.1" -->
<rss version="0.92">
<channel>
	<title>情景</title>
	<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report</link>
	<description>Just another WordPress weblog</description>
	<lastBuildDate>Sun, 23 Aug 2009 14:21:52 +0000</lastBuildDate>
	<docs>http://backend.userland.com/rss092</docs>
	<language>ja</language>
	
	<item>
		<title>移情閣（孫文記念館）友の会25周年記念行事のお知らせ（予告）</title>
		<description> </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=70</link>
			</item>
	<item>
		<title>”孫文記念館庭園で孫文蓮・中国系の花々を楽しむ会”のチラシ</title>
		<description> </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=69</link>
			</item>
	<item>
		<title></title>
		<description>&#160;
&#160;&#8220;舞子公園元気アップ事業&#8220;のお知らせ
（孫文記念館庭園で　孫文蓮を楽しむ会／中国系の花を楽しむ会）
&#160;
この度兵庫県の地域元気回復支援事業として、移情閣(孫文記念館)友の会の主催で財団法人孫中山記念会、財団法人兵庫県園芸・公園協会のご協力のもとで舞子公園元気アップ事業（孫文記念館で孫文蓮を楽しむ会・中国系の花々を楽しむ会）を8月～9月に開催することになりました。
　
　
・&#8220;舞子の観光資源のひとつである舞子公園と孫文記念館により多くの人に訪れてもらい舞子の元気アップを図る。孫文記念館の庭園とその周辺に、孫文と縁の深い孫文蓮、さらに中国系の花々を飾り、舞子の美しい海の景観に溶け込んだ、文化財産である移情閣（孫文記念館）に親しんでもらう。さらに地元小中生と父兄を主対象に孫文蓮にまつわる講演会や観月コンサートを開催する&#8221;。
&#160;
（孫文蓮は、孫文が彼の支援者で長府に在住した田中隆氏に送った中国古蓮の実をハス博士大賀一郎氏が育成して発芽させた、白地に淡いピンクの花をつける大型蓮。孫文は「至誠感神」の為書と4粒の種を熨斗袋に入れて送った。「中国では、蓮は君子の交わりを象徴し、蓮の実は同志の契りを表す」彼は「日本と中国は、この一つの蓮の根の上に咲く二つの花のようではなりませんとの意を込めたものです」と田中に言ったと伝えられています。）
&#160;
＜行事と期間＞
・&#160;&#160;&#160;&#160; 孫文蓮を楽しむ会（8月）・・・孫文記念館庭園に孫文蓮のプールと中国系のスイレン蓮の鉢を設置しご来館の皆さまに孫文を偲び　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　親しんで観賞していただきます。
・中国系の花を楽しむ会（9月）・・・現在親しまれている花の多くは中国にルーツがあります。その中国系の花々を孫文記念館庭園で観賞していただきます。
＜期間中の特別行事＞
・&#160;&#160;&#160;&#160; 孫文蓮まつり　蓮茶・蓮の実を楽しむ会（8月8日）&#8230;済
・　園芸講演会と観月コンサート・香りの花の観賞会（9月５日（土）14:00~20:00）
&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 場所：孫文記念館/舞子公園/孫文記念館庭園
　　　　　&#160; 　講演：『孫文蓮と中国の花々』（孫文記念館講義室、14：00～16：00）
　　　　　　　観月コンサート：舞子公園　芝生広場　　17：30～20：00
　　　　　　　香り花の観賞会：孫文記念館庭園　　17：30～20：00
&#160;
移情閣(孫文記念会)友の会　事務局
〒655-0047　　神戸市垂水区東舞子町２０５１
TEL：078-783-7172　　FAX：078-785-3440　　 </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=67</link>
			</item>
	<item>
		<title>　見事に開花した孫文蓮</title>
		<description>&#160;
&#160;
孫文記念館庭園で開花した孫文蓮（2009年8月7日現在）
 </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=65</link>
			</item>
	<item>
		<title>2009年度中国語講座受講生募集のお知らせ！！</title>
		<description>&#160;２００９年度（第２７期）中国語講座受講生を募集中

・体験受講できます！

期　間　　2009年4月　～　2010年3月
場　所&#160;&#160;&#160; 孫文記念館内友の会の部屋
受講料　　入門（４０回ｺｰｽ)４０,０００円&#160;&#160; 他に友の会会費1.000円(1年分)が必要
&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 初級（４０回ｺｰｽ）４５,０００円&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 〃
　　　　　中級（４０回ｺｰｽ）４５,０００円　　　　　　　〃　　&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 
&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; &#160;&#160;&#160;上級（４０回ｺｰｽ）４５,０００円&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 〃&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 
&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; &#160;研究（２０回ｺｰｽ)２３,０００円&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;〃&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 
　　　　　会話（４０回ｺｰｽ）４５０００円　&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 〃
（納付された受講料はご返却できませんのでご了承下さい、期中からの受講料は残受講回数相当分になります。）
&#160;
定員　　各クラス12名迄
　　　　　（但し1クラスが7名未満の時クラスは成立しません）





    
        
            
            &#160;
   ...</description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=62</link>
			</item>
	<item>
		<title>中国　広州・中山・アモイ旅行５</title>
		<description>
&#160;孫文記念館友の会訪中団に参加して
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　中国語講座　研究クラス　中島悦子
&#160;
この度の訪中団の主要目的は、孫文ゆかりの諸施設の見学ということでしたので、記念館が発行しているパンフレットで多少の予習はしたものの、にわか勉強ではあまり頭に入らないままに現地に行きました。でも、現地で孫文の旧跡を見学して、彼が中国の近代化に果たした役割や、その功績によって中国でいかに敬愛されているかがある程度理解できたように思います。旅行中に見学した施設のいくつかを紹介します。
&#160;
最初に訪れたのは孫文が1924年に中国共産党とソ連との協力によって創立した黄埔陸軍軍官学校です。もとの校舎は1938年日本軍の爆撃で破壊されたそうですが、1996年に復元され、いかにも校舎らしい横長の建物が三列に平行して建てられていました。中は展示室になっていて、孫文の署名のある第一期生の卒業証書や政治部副主任を務めたという周恩来の写真が特に印象に残りました。珠江に面しているので、目の前に軍艦が停泊していましたが、これは撮影禁止ということでした。
&#160;
中山大学（南校区）を訪ねたときは、お二人の教授のほかに四年生の女子学生が出迎えてくださいました。1990年に建てられた永芳堂というモダンな建物が孫文の記念館になっていて、私達はここでいろいろな説明を受けましたが、私はもっぱらこの学生さんと専攻は何かとか何処の出身かなどいろいろおしゃべりしました。彼女は「学生助理」をつとめているそうで、中山大学の構内施設を説明したプリントを用意して私達の案内に備えてくれていました。永芳堂の見学のあと、この大学のシンボルである孫文の銅像を見に行きました。この銅像は、政治、経済、軍事などの面でずっと孫文の革命活動を支援してきた梅屋庄吉が孫文の没後に贈った四体の銅像のうちの一つだそうです。北向きに安置されているのは、北伐の意志の表現とのことです。（黄埔陸軍軍官学校の丘の上にもその一体が安置されているのが見えましたが、傍までは行きませんでした。）
中山大学の構内は、市民が自由に入れるそうで、枝を広げた大木の下を散歩したり、青々とした芝生でくつろいでいる人たちを沢山見かけました。
&#160;
中山市の孫中山故居は大変規模の大きい施設でした。孫文が生まれ育った翠亨村の様子を出来るだけ当時のままに保存するのが目的だそうで、孫文一家が暮らしていた家のほか、村民の住居も一部保存されています。構内には畑や田んぼがあり、当時栽培されていたのと同じ種類の野菜を作っているとのことでした。孫文一家が小作をしていた田んぼの広さも再現していました。ここは、「愛国主義教育基地」に指定されていて生徒達が大勢見学に来ていました。
（私は初めて知ったのですが、中国では主要な史跡や博物館、風景名勝地などを「愛国主義教育基地」に指定しています。）
ここでは、紀念館の館長室に通していただきました。友の会事務局を担当しておられる三人の方々は、館長さんに対して熱心に神戸の孫文記念館の説明や今後の交流などを話しておられましたが、私は末席でただひたすらかしこまっていました。
この事務局のお三人は、見学に行った先々で熱心に説明を聞き、写真を撮り、資料を集め、また、旅行社に寄ってはパンフレットを渡して、孫文記念館への来館を要請するなど、記念館の発展に並々ならぬ情熱を傾けておられる様子が伺えました。
&#160;
広州の町は、紫荊花やブーゲンビリアなど色とりどりの花が咲いていて、まさしく「花城」でした。 </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=61</link>
			</item>
	<item>
		<title>中国　広州・中山・アモイ旅行４</title>
		<description>
&#160;
　
移情閣友の会訪中旅行に参加して
　中国語講座研究クラス　伊藤　静子
&#160;
　　去る１１月１６日～２１日、広州・中山・アモイへ孫文の足跡を辿る５泊６日の旅に参加させてもらいました。メンバーは、移情閣事務局スタッフの佐瀬さん・林さん・武市さん３名、林さん友人水谷さん、中国語講座同学の中島さんと私、計６名でした。もっと多くの方が参加されるのではと思っていたので、予想に反しましたが、少人数である事でまとまりも良く、又皆さんが気さくで、愉快な方ばかりだったので、とても楽しい道中になりました。通訳は、曹さん。全行程付き添って、よく世話をしてくれました。大事な目的・・あちらの孫文記念館や関係当局との交流を図る事・・は、スタッフの方達の奮闘（！）、又林さんの流暢な広東語の通訳のおかげで、とても良い感じで進められて、これからに繋げる友好交流が出来たと思います。
　　以下は、独りよがり的旅行の感想です。
&#160;
１）孫文関係
初日、広州にて、広東省人民政府対外友好協会歓迎夕食会。副秘書長陳氏、同協会員呂さん出席。どんなお話し合いになるのかと心配だったが、お二人とも日本語が大変お上手で、和気藹々と、話が弾んだ。これで先ず初めの難関突破。　
&#160;
黄埔軍校旧址（広州市）・・第１回国共合作期（１９２４～２７）に孫文創設の陸軍学校。
　　多くの国民党・共産党の幹部が育った所とあって、大勢の中国人が訪れていた。　　
　　若い人、年配の人いずれも。軍校は珠江の河岸に建てられており、金網を隔てて河には軍艦が２隻浮かんでいた。甲板には、洗濯物が干してある。軍艦に洗濯物、と言うなんとも奇妙な風景を撮ろうと、カメラを向けると、撮影禁止、とガイドの曹さんに注意される。でも撮ってもいいよ、と小さな声で。見られていない時はＯＫか。
孫中山故居紀念館（中山市）
　　　　孫文生誕地（１８６６年香山県翠亨村に生まれる。１９８８年中山市翠亨に改名）に孫文自ら設計した２階建て住居が公開されている。外観はレンガ作りの西洋風だが、内部は中国の伝統的な様式で、当時の生活振りが偲ばれる。裏手には翠亨村の当時の農村の様子が再現され、稲や、野菜、果樹が植えられていた。傍に新築された孫中山故居紀念館があり、館長さんの歓迎を受けた。林さんと広東語で話され、帰り際には、お食事でもと誘われる、いい雰囲気だった。
　　　　小学低学年の団体が丁度見学に来ていて、整然とした態度に、孫文先生を尊敬する気持ちを感じた。
　　中山大学（広州）
　　　　１９２４年孫文が、広東高等師範学校、広東法科大学、広東農業専門学校を合併して設立。その後、いくつかの大学と合併し、今では４つのキャンパスを持つ。
　　　　今回訪ねたのは、本館に当る所。広い、芝生の美しいキャンパスを通り、資料館に案内される。教授が出迎えてくださって、広い資料館に展示された写真などの説明を受ける。それはもっぱらスタッフにお任せして、中島さんと私はアシスタントの中山大学４年生の女子学生と話をした。彼女は、地理学を専攻している、就職活動をしているがまだきまっていない、など。私たちは、移情閣は、孫文の資料館だけではなくいろいろ文化活動もしていること、を話した。小交流になったかも。
　　　　キャンパスには、孫文の像（梅屋庄吉寄贈か）、志士たちの像がある。キャンパスは一般に開放されているそうで、お年寄りや、子供達が寛いでいる姿を多く見かけた。歩きながら、何十年も前の自分の学生時代を思い出してちょっとセンチメンタルになった。
　　孫中山紀念堂（広州）　１９２９～３１年竣工
　　　　著名な建築家呂彦真の設計になるもの。八角形の古宮殿様式の建築。内部は天窓を持ち明るい。舞台を持つ。
　　孫中山大元帥府紀念館（広州）
　　　　大元帥として執務した時の部屋保存。
　　黄花崗七十二烈士墓園（広州）
　　　　１９１１年４月２７日（農暦３月２９日）、３．２９蜂起の時、志半ばで犠牲になった多くの志士たちの中から、７２名の遺骨を集め、葬っている。７２名を象徴する７２この石を積み上げたMemorial　Wallがあり、紀功坊と言う。石面には献石した個人や団体の名前が彫られていて、「中国国民党神戸支部党員王敬祥献石」、「中国国民党神戸支部献石」の文字がはっきりと読み取れた。
　　　　　　　広い墓地公園になっていて、若い母親や、おじいさんおばあさんが、小さい子供を遊ばせる姿が多く見られた。
２）その他の見学
　　　肇慶市（広州西部）　
鼎湖山風景区・・巨大な端渓の硯（世界最大と！）、と巨大な鼎有り。その昔黄帝がこの地で巨大鼎を　鋳造したとの伝説あり。３つの山に囲まれた湖は青い水を湛えていた。
白雲寺　　　・・山中にある禅宗の古刹。いくつものお堂がある。鑑真と共にここを訪れた日本僧栄叡はこの地で病没した、と言われている。山腹に日本人僧栄叡の碑があり、像は彼の故郷美濃の方を向いている、書かれている。
　　　　　七星岩風景区・・石灰岩の山が７つとそれを取り囲む５つの湖で構成されている風光明媚な所。
　　　　　端渓工場見学・・工場の前には、切り出して来た石が無造作に山積みされている。工場内では、若い数人の職人さんが決して良い環境とは言えない職場で、精巧な彫り物をしていた。
　　　　アモイ（福建省）
　　　　　コロンス島　・・アモイから船で１０分。面積1.78平方ｋｍ、海岸線総延長２ｋｍに満たない所を電動車で回る。潮風が心地良い。以外に爽やか。南京条約で開港させられた後、英・米・仏・日・独・西・葡・蘭などの国々が領事館、病院、学校、教会、商社などを設立。華僑も住宅や別荘を建てた。そのため、小さな島は洋風建築が数多く見られる。亜熱帯の植生と相まってなんだか不思議な感じがする。ピアノ博物館がある。世界最古のピアノや、最大の立式ピアノがめずらしかった。林叔蔵の別荘庭園、寂荘花園も。
　　　　　日光岩　　　・・島内最高峰９２ｍ、石段を登ること約３００段。頂上から対岸のアモイ島が一望出来、美しい眺めだった。金門島までは、見えなかったが台湾の小さな島が２つ霞んで見えた。
　　　　　南普陀寺　・・６００年近い歴史を有する古刹。観音菩薩を祭る。国内で最も早期の仏教学院が創設されている。当日は、平日であったにも拘らず、大勢の参拝客で賑わっていた。若い人たち、カップルが目立った。また、至る所で参拝客にお構いなく、掃除をする人たちがいた。聞く所によると、そのような奉仕をする事で、ご利益があると信じられていて、全国から集まって来るとのこと。しかし、門前には、障害者が何人も物乞いする姿があった！
鄭成功記念館・・彼がこの地をベースにしていた事を初めて知った。
華僑博物院　・・１９５９年華僑の陳嘉庚によって創建。華僑が世界中に発展して行った陰には、苦難の歴史があったことを知る。
３）Ｈｏｔｅｌ
　　　　初日と帰りにそれぞれ１泊、計２泊した広州白天鵞賓館は、最もレベルの高いホテルのひとつ。部屋から見下ろすと、珠江がふたつに分かれている様子がはっきりと見える。夜には、イルミネーションがきれいで、昼とは全く別の世界になる。ホテルの中で、欧米系の人達が中国人の幼い子供を連れているのによく出会った。ガイドの曹さんによると、施設にいる子を養子にする為其の子と暫らく滞在して、様子を見ているそうだ。何か気持ちの中で、すっきりしないものが残った。
４）食事
　　　　どれもおいしかった。油ぎってなく。特に、飲茶はとてもおいしかった。初めて鳩を食べた。やっぱり鶏の様。でも顔のところはちょっと・・・。
５）番外編
　　　　帰る日の最後の昼食のあと、レストラン近くの生鮮市場へ案内してくれた。今は随分清潔になっている、と曹さん。日本の市場と同じような通路の両側に、肉、野菜、乾物、魚の店が並んでいる。中には、半分に割った豚、生きた蛇、皮をむいた蛇と皮、笊に入った虫（雲南で食べた！）、等。眉間を断ち割った上半身の犬がぶら下がっているのを見るのはつらかった。果物屋の前に来て、ホットした。
６）最後に
　　　　今回の旅行は、日本と中国の、昔の文化交流と現在の経済交流を考えるとても有意義な、また楽しいものだった。今後、若い人たちももっと交流し合う事でお互いの理解を深めていって欲しいと思います。

&#160; </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=60</link>
			</item>
	<item>
		<title>中国　広州・中山・アモイ旅行３</title>
		<description>
&#160;
故郷を訪ねて
林国賢
&#160;
この旅行の参加に当り、記念館館長、事務局長、旅行社及びご同行の方々のご好意を賜り、有難うございました。
移情閣友の会（中国文化同好会）訪中団のスケジュール表を頂いた時に最初に目に入ったのは番禺の二文字でした。そして「専用車で番禺へ」と印刷してありました。
私は生まれてから一度も自分の故郷へ行ったことがありません。
中国での仕事は主に北方でしたので、その機会は全くありませんでした。
　両親の健在の時に少しは話を聴いていましたが．．．．．．．
&#160;
　今回の旅行で、もし番禺を通過するならば、この機会に私の祖父の故郷を是非一目見てみたいと思い参加することにしました。
そして私の知っている限りの住所を旅行社の方にお願いして調べて頂きました。程なくご連絡を頂き「番禺県河南瑶溪郷」の付近一帯の住宅は取り壊され、地名も変わり、今は広州市海珠区江南大道」の辺りとのことでした。
&#160;
　当日の11月18日午後二時過ぎ念願の場所に到着しました。私の幼い時に聴いた記憶では、辺り一面は田圃で、荔枝、竜眼の樹、甘蔗畑が沢山有り、養魚池も方々にあったそうです。今はその百数十年前の面影は全くなく、近代的な建物に変わっていました。祖父の家の場所は全然わかりません。唯その辺りという曖昧な気持ちでバスを降り、無我夢中でデジカメのシャッターを切りました。初めて接する故郷に、その時何故か胸にジーンとこみあげて来るものを強く感じました。全てが変わってしまい、故郷の面影は何処にもなく、これも時代の流れで仕方がないことかも知れませんが、本当に寂しい気持ちと複雑な気持ちで一杯になり、僅か10分足らずの滞在でしたが、私の今まで生きてきた数十年間の中で実に得難い貴重な時間でありました。
&#160;
　祖父は新天地を求めて来日したのです。そして両親の時代になり、戦争と重なって言葉では言い尽くせない苦労を経験しました。先人達の苦労があってこそ、今日の私があります。先人達は大変な苦労をして、生きるためのレールを敷きました。
　今、私はそのレールの上を気楽に？？？走っています。これからもありがたく走り続けたいと思います。
&#160;以上 </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=59</link>
			</item>
	<item>
		<title>中国　広州・中山・アモイ旅行２</title>
		<description>
&#160;
孫文の故郷を訪ねて
&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; 2008年12月4日　武市嘉晴
&#160;
今回の旅は、孫文記念会友の会が企画され、広州・中山・肇慶・厦門の孫文ゆかりの地を訪れる11月16日から21日までの5泊6日の旅であった。
広州に着く早々、広東省人民対外友好協会の陳副秘書長と呂さんとの夕食会が有り、今回の訪中を歓迎された。
広州では黄埔軍校旧跡・孫中山記念堂・孫中山大元帥府記念館・黄花崗七十二烈士の墓と紀功坊・中山大学等を訪れることが出来、孫文の激動の人生と革命への熱き思いを肌に感じた。
又、孫文の故郷中山市の孫中山故居記念館では蕭館長・張副主任の丁寧な案内・歓待を受け、大変恐縮しました。故居内の孫文の書斎を見学した際は、孫文が李鴻章へ政治改革の提案書を執筆しているのが眼に浮かぶ様であった。
&#160;
日本の孫文記念館で入館者の案内をしている小生にとっては、館内で展示されている種々の写真の実物を見学できたことは非常に感銘を受けると共に、今後に役立つだろう。
&#160;
大阪を立つ際は寒かったが初めての広州は11月中旬でもまだ暑く日中は28度になっていた。巨大なガジュマルの幹や岩肌に纏わり付く気根にも圧倒され、ピンクの羊蹄甲や真っ赤なブ－ゲンビリアも満開だった。このような一年中気候温暖な南国が&#8220;豊かな包容力を持つ革命家孫文&#8221;を育てたのかも知れないとの思いを強くした。
&#160;
孫文の旧跡見学の合間には厦門観光として、コロンス島の菽庄花園及び日光岩や厦門島の南普陀寺を訪れたが、広州同様高層ビルの建設が多く見られ、中国の経済発展の活力を目の当たりにした。
広州郊外の肇慶では風光明媚な鼎湖山や七星岩公園を観光したが、特に鼎湖山麓の孫文と宋慶齢が泳いだと言われている飛水潭は興味深かったです。
&#160;
なお出発前に安井館長の紹介状も頂いており、又日本の孫文記念館から来たとゆうことで
中山故居記念館や中山大学では大変丁寧に案内して頂きました。
又広州・中山の旅行会社も訪問し、当館のPRを行った。
&#160;
今回の旅で、中国では孫文関係の旧跡は大切に保存・公開されており、孫文が中国国民にとり、いかに尊敬されているかを再認識した旅でした。この旅行を企画された孫文記念館友の会のご努力に感謝いたします。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上 </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=58</link>
			</item>
	<item>
		<title>中国　広州・中山・アモイ旅行1</title>
		<description>&#160;
&#160;中国文化同好会幹事
　　　　佐瀬　祥一
&#160;
中国文化同好会20周記念行事で中国旅行を検討していた時、たまたま孫文記念館に来館された兵庫県日中友好協会の杉田哲氏の提案から始まり計画し実現したのが&#8220;広州・アモイ訪問旅行&#8221;でした。中国文化同好会、中国語講座受講生、一般の会員に広く参加を呼びかけましたが、応募があったのは６名でした。（内訳は孫文記念館スタッフ３名、中国語講座研究クラス2名、その他1名）
和平旅行社のお蔭で6名での広州・アモイ訪問旅行が実現しました。また孫文記念館の安井館長、森事務局長のご配慮によりスタッフ3名全員が参加することができ大変感謝しています。
&#160;
5泊６日の行程で広州、黄埔軍校（陸軍軍官学校）、肇慶（孫文が泳いだ池がある）、孫中山故居紀念館、中山大学永芳堂（孫文紀念館）、アモイ、コロンス島寂荘花園（王柏林名誉館長と縁続きの林氏の元別荘）、広州の孫中山記念堂、孫中山大統領府紀念館、黄花崗七十二烈士の墓紀功坊、孫中山紀念堂等孫文ゆかりの地、施設を訪問・見学してきました。幸運なことに天気・人に恵まれ、初日の夜は広東省人民政府対外友好協会の歓迎夕食会があり、孫中山故居紀念館では宣教部副主任の張咏梅さんに施設を丁寧に説明して頂たばかりでなく、萧潤君館長、林華煊副館長にお会いしお話を伺うことが出来ました。さらに中山大学では今年の7月と9月の2回孫文記念館に来館された理工学院の劉揚教授（』理学博士）のお世話で永芳堂（孫中山紀念館）館長を始め、職員の張文苑さん、歴史を専攻の学生さんに案内をしていただきました。いずれの施設でもさすがに展示の内容は濃くとても短時間で参観できるものではありませんでしたが、大感激・大満足の旅行でした。
今回の旅行での2のトピックスを紹介します。一つは孫文の身長のことです。各施設の説明によると163~166cmでした。日本で聞いていたのは156cmでしたのでそう伝えると、そんなことはないどの写真を見ても、着ていた服の大きさから推定しても163cmはある筈と真顔で真剣な表情で反論されました。（偉人はやはり大きく見えることを実感しました。）いま一つは肇慶にある鼎湖山公園内に孫文が1923年に来て泳いだ池（静寂な渓流の先にある滝の下のプール状の池）が有ったことです。広州から200Km程はなれた山の中になんできたのだろうかと思いました。（心労から開放される為に木々に囲まれた渓流で宋慶齢夫人とともに英気を養いにきたのでしょうか？）
&#160; </description>
		<link>http://ijokaku-tomonokai.com/report/?p=57</link>
			</item>
</channel>
</rss>
